蛇美

私は今日まで生きてきました…

【映画】「葛城事件」を見てしまいました!

「葛城事件」という邦画を観た。
何ともタイムリーな話題の一致ではあるが、
決して意図したものではなく、
むしろ「見てしまった!」という後悔の方が
強い。
わたし自身、川崎の痛ましいあの無差別殺傷事件について
実はさほど強い思い入れというものを感じてはいないのだけれど、
それでも「見てしまった!」
…なんとも後味が悪すぎる。

この「葛城事件」という映画は、
18年前に起きた「池田小無差別殺人事件」を
モチーフに制作されたフィクションだそうですが…

真実を直視する時、
自分自身の深淵に触れた時、
人はもしかしたら、
その事実そのものより、
フィクションからの方が
多くを感じ取れる…
そういうものかもしれないよね。

「凶悪」の時もそうだった、
「日本で一番悪い奴ら」の時も、
冷たい熱帯魚」だって…
そういう経験を挙げれば、
いくらでも出て来る。

そして今回も…
やはり自分もそっち側の
人間なんだろうな…
という確信めいた
やりきれない絶望感が
この「後味の悪さ」を
よりどす黒い苦笑いに変えている
そう思わずにはいられない。

この映画でもそうだし、
痛ましい川崎の事件報道でも
犯人の悲惨な背景に目を向けている。

しかしながら、
犯人よりも悲惨な環境・状況でも
立派にやってる人は
数えきれないほどたくさんいる。

自殺を実行したり…
ましては無差別殺人なんかを
決して犯すことのない
大多数の人は、
そういう人たちの行動に
環境などの影響はある程度認めつつも
それ以外の理由を必死に探してる。

わたしもそれは事実であり真実だと思う。
と同時にある孤独な絶望に苛まれてしまう。

なぜなら、
そういう犯罪を犯していない人には
2種類いると思っているからだ。

一つは、前述の通り、
どんな環境・状況でも
決して凶行に手を染めないタイプ。
大多数の人は、
きっとこのタイプなのだろう。

そしてもう一つが、
そういう環境・状況に
追い込まれたことのない人…
すなわち、
環境以外の何かを内在させつつも
それが今まで発現することのなかった
ラッキーな人たち。
わたしはもちろん、
このタイプだと自覚している。

だから、冒頭にも述べたように
悲惨な川崎の事件に対しても
無意識に「避けて」いたのかもしれない。
「あんなことしでかすって意味わかんない!」
なーんて批判する側には、
決して立てないのだから…

自分の人生をラッキーだなんて
思ったこともそうはないのだけれど…
こう考える時、
実は、相当幸運な人生を送っているのだと
もっとx2感謝しなければならない!
とつい自戒しまう。

そして、
できることなら…
この幸運が死ぬまで
続きますように!!
って、そう願わずにはいられない。

2019年06月02日 22:03