蛇美

私は今日まで生きてきました…

【ゴミ】もうすぐ誕生日 のチョット補足

GHQ占領下で最初に行われた平和式典は、
米国から厳しく検閲され、
「原爆」「被害」、そして「慰霊」の言葉さえ一切使えず、
自ら被爆した当時の広島市長は、
「戦争を終結させた”平和の壱弾”により、平和を迎えた」
と宣言したそうです。
その後GHQの占領が終了するまでの6年間、
表現の自由」を保証した現憲法が発布・施行された後も
米国に忖度する日本政府による厳しい「検閲」は続き、
国内に於でさえ「原爆による被害」が報道されることもありませんでした。それに伴い、復興に日本政府が手を貸すこともほとんどなかったと伝えられています。

当時の中心的な政治家の孫が時を経て同じ式典で、
総理大臣として使いまわしたおざなりの作文を読み上げている。
70年以上経っても、いまだ米国に忖度してヒロシマの願いである核兵器禁止条約批准を拒否し続けている。
その際に、一部の過激パヨクから「帰れ」コール起こったことから、今後は拡声器使用も規制することが検討されるという…
皮肉なめぐりあわせで、またまた「表現の自由」が制限されちゃうのはなんだか切なすぎじゃね…なーんてつい感じてしまうのはわたしがひねくれているからかもしれません。

まーそんなこんなで紆余曲折があったようですが、
結果から言うと、これが最善ではないにしても、ある意味良かったんだとわたしは思っています。

いくら泥沼の戦時下にあったとはいえ、
一般市民を狙い、
その後永く残る後遺症も含めた重大な被害を十分想定しながら、
原子爆弾を投下したことは…
戦争行為を逸脱した殺人ともいえる蛮行であり、
それを戦争を終わらせたなどと、
何の反省もなくいけシャーシャーと
悪びれないあいつらを到底許せるものではない!

家族を、友を、隣人を、
そして、街も、生活も、伝統文化全てを
一瞬にして奪うだけならまだしも、
その後何十年、何代にもわたって
苦しめ続ける…
あいつらへの恨みは
今後何があっても消えることはないだろう!

なーんて、当事者である世代どころか、
そんな事実も大して知りもしない
われわれ世代にまで「呪怨」のように
縛り続けていたなら…
それはとてもとても不幸なことだと思うから。

そう言うことも含め、
表現の自由」の大切さを
そして隣国とのありかたを
しっかり考えていきたいものですね♪

って、全然チョットじゃないじゃん!!
なんていう突っ込みは不可ですから、
そこのところは、忖度してね(^O^)/

2019年08月07日 06:54