蛇美

私は今日まで生きてきました…

【記事】『開業医に重くのしかかる「患者の自殺」トラブル』

今回は、これまで私の心の片隅にずっとありながら、なかなか文章化できなかったことを書いてみようと思う。
患者の自殺が原因で、患者家族と医療側がトラブルとなるケースである。
心療内科や精神科では、患者の自殺は避けて通れない。
しかし、そうした悲劇が起きたとしても、通院歴が長ければ、患者家族とトラブルになることはあまりない。
というのは、患者の病状や処方される薬について、患者家族に詳しく説明しているケースがほとんどで、医療側と一定レベルの信頼関係も生まれるからだ。
問題なのは通院歴が短いケースだ。
付き合いが短いと、当然、患者家族と医療側の信頼関係も希薄で、患者の自殺という強烈な出来事が起きると、患者家族のやり場のない鬱積した感情が病医院側に向けて発散されることもある。
今回紹介する事例も、それに該当すると思う。

ケーススタディー】
「息子の自殺はあなたのせいだ!」と訴える母親
「『1週間前に息子が自殺したのは、A先生が出した薬のせいだ。どうしてくれるんだ』
と、亡くなった患者の母親が親類と2人でクリニックに押しかけてきたんです。
後日、こちらから連絡するということで、いったんは何とか帰ってもらったのですが、いったいどのように対応したらいいのでしょうか」

やや疲れた声で私に電話をしてきたのは、近県のX市で心療内科のA医院を開業しているA院長だった。
A院長は40歳代半ば。
公立病院に長年務めた後、半年ほど前にA医院を開業した。
公立病院に勤務していたときも患者の自殺はあったが、自分が直接担当している患者ではなかったという。
公立病院の場合、同僚やスタッフがたくさんいる。
もし、こうした事態が起きても、一人で抱え込まなくて済む。
その点で非常に心強い。
しかし、一人医師診療所となるとそうはいかない。
ましてや、開業後、日が浅いとなると、心労の重さはいかばかりか、と少し気の毒になった。

私はこれまで、精神科や心療内科医院からのトラブル相談を比較的多く受けており、患者の自殺を原因とするトラブルも何回か経験している。
その中には、今回と似たような事例があるかもしれない。
まずは、詳しく話を聞くことにした。

患者Yは24歳男性。
3カ月くらい前、市立病院からの紹介でA医院に通院し始めた。
もともとは、気分が悪い、頭痛が慢性的に続くということで、市立病院の内科にかかっていた。
しかし、投薬を続けても症状が改善しないどころか、うつ的な症状が強く出るようになり、会社へ通うのが苦痛になっていった。
その状況を見た市立病院の医師が、Yに心療内科を受診するように勧めた。
そして、紹介されたのがA医院だった。

A院長の見立ては、Yの症状は典型的な適応障害で、かつ、うつ病の発病初期段階にあるというものだった。
3回目の来院時に、A院長はYの首にあざを見つけた。
あざの理由を尋ねると、Yは「ときどき死にたくなるんです」と話したという。
うつ病の初期段階に、不安やイライラが重なると、自殺念慮や自殺企図が起きやすいそうだ。
A院長は、Yの話をじっくり聞くべく、カウンセリングによる対応を続け、選択的セロトニン再取り込み阻害薬SSRI)などの薬剤は、本人の服用後の状態などを確認しつつ、慎重に投与した。

しかし、Yの症状はどちらかというと悪化していった。
気分の落ち込み、イライラを繰り返し、体はだるくなる一方で、最近は会社に行ける状態ではなくなっていた。
A院長は、薬剤の投与量を少し減らし、何とか症状を改善させようとした。
その時の対応方法やYとのやり取りについては、カルテにも記録してあるそうだ。

このように、A 院長としては慎重に対応したにもかかわらず、Yは自宅近くの家電店で電気コードを買い、夜中に自宅で首を吊った。
翌朝、母親が変わり果てた息子の姿を発見した。
その1週間後、Yの母親とその兄(Yの叔父)が2人でA医院に押しかけてきた、というのが、おおよその経緯だ。

【尾内流解決術】 意外な形でトラブル決着
精神疾患の場合、症状の出方には個人差があり、薬剤への反応も人それぞれ違う面がある。
自殺念慮や自殺企図は、うつ病が最もひどい時期よりも、発病初期や回復期など、比較的気分が落ち着いたときに起きやすいとも言われている。
このケースはまさにそれに当てはまるわけだ。
だからといって、Yの自殺を止められなかった責任が院長にある、とまで言えるのかどうか。
あれこれ考えていても仕方ないので、過去の自分の経験を踏まえ、A院長に思いつくままアドバイスをした。

まず、Yの母親とその兄に再度、来院してもらい、Yへの診療の経緯について、カルテに基づいてできるだけ詳しく説明する。市民病院からの紹介状も使い、どんな経緯でA医院を受診することになったのか、そして受診当初にYがどんな症状だったのかも丁寧に伝える。

このケースで最大の問題は、薬剤に関することだ。
添付文書を使って、投薬の注意点や副作用について、Yの母親に詳しく説明したほうがいいだろう。
その上で、A 院長がどのような考えでYへの処方を決めていたのかを説明する。
Yの母親は、SSRIが自殺を助長する薬であり、それをA院長が投与したことによって息子は自殺した、とかたくなに思い込んでいるようだ。

例えば、SSRIの1つであるパロキセチン塩酸塩水和物(商品名パキシル)の添付文書には、「重要な基本的注意」としてこんな記述がある。

「不安、焦燥、興奮、パニック発作、不眠、易刺激性、敵意、攻撃性、衝動性、アカシジア/精神運動不穏、軽躁、躁病等があらわれることが報告されている。
また、因果関係は明らかではないが、これらの症状・行動を来した症例において、基礎疾患の悪化又は自殺念慮、自殺企図、他害行為が報告されている。
患者の状態及び病態の変化を注意深く観察するとともに、これらの症状の増悪が観察された場合には、服薬量を増量せず、徐々に減量し、中止するなど適切な処置を行うこと。」

 また、「その他の注意」の記述はこうだ。
「海外で実施された大うつ病性障害等の精神疾患を有する患者を対象とした、本剤を含む複数の抗うつ剤の短期プラセボ対照臨床試験の検討結果において、24 歳以下の患者では、自殺念慮や自殺企図の発現のリスクが抗うつ剤投与群でプラセボ群と比較して高かった。
なお、25歳以上の患者における自殺念慮や自殺企図の発現のリスクの上昇は認められず、65歳以上においてはそのリスクが減少した。」

ここで言わんとしているのは、24歳以下で不安や焦燥感といった症状が出ている患者には、状態を慎重に見ながら投与せよ、ということだ。もちろん、禁忌ではない。
Yは24歳なので、この注意書きの対象年齢にぎりぎり入る。しかし、A院長の話を聞く限り、添付文書に書かれているように、Yの状態を見ながら慎重に投与しており、非難されるようなものではないと私は思った。

第3のポイントは、Yの母親とその兄の反応である。A院長の説明に対して、まったく聞く耳を持たなかったり、敵対的な態度をエスカレートさせたりすることも考えられる。
A院長への恨みが蓄積して、存在自体が許せない状態になっているかもしれない。
そんな場合は、A院長が懇切丁寧に対応するほど、逆効果になるかもしれない。なので、相手が敵対的な姿勢を崩さないようであれば、そこで交渉を打ち切り、「次回から代理人(弁護士)を立てて対応する」と告げるのがいいだろう。

思いつくままであったが、これら3点をA院長にアドバイスしたところ、「分かりました」という返事があった。
対処法が分かって、少し元気を取り戻したようだった。

A院長は私のアドバイス通りに、Yの母親とその兄に来院してもらい、診療・投薬の経緯について詳しく説明した。
投薬に関して、Yの母親からの追及があると覚悟していたA院長だったが、意外なことに、Yの母親は A院長の話を素直に聞いていたという。
そして、Yの母親は、こんな話を始めた。
「Yが中学生のとき、離婚しました。
それ以降、Yがふさぎ込んでいる姿をときどき見てきました。
離婚後、家計のために働きに出たことも、Yを不安にさせたかもしれない。
Yが社会人になり、最初は順調そうだったので安心しました。
でも、徐々に職場に適応できなくなっていって……。
中学生という多感な時期に両親の離婚を経験したのがおそらく遠因だろうと思います。
苦しんでいただろうに、親として何もしてあげられなかったことが、今はとてもつらく……」。

Yの母親は、Yを失った悲しみを誰かにぶつけたかっただけかもしれない。Yの母親は自分の思いを語った後、「いろいろとありがとうございました」と言って、静かに医院を去っていった。
トラブルは無事解決した。

【トラブルの教訓】
★最悪の事態を想定し、対策を用意
トラブル解決後、私もA院長も、安堵感と言うより、何とも言えない虚脱感に包まれた。
医師としての過失はなかったとしても、患者を自殺から救えなかったことに対する自責の念はどうしても生じる。
それはそれで心の中でいったん受け止め、あとは気持ちを切り替えていくしかない。

今回のように、亡くなった患者の主治医に対して、遺族が自分のやりきれない思いをぶつけるというケースを、私はこれまでに何度か経験してきている。
そのぶつけ方で多いのは「医療過誤があった」と遺族が主張するパターンだ。
しかし、単にやりきれない思いをぶつけようとしているだけなのか(これも医師にとっては大変迷惑な話だが)、それとも、本気で医療過誤を疑っているのかを、早い段階で見極めるのはかなり難しい。
ある程度、事態が進んでから、どちらなのかが分かってくるものだ。

そこで、この事例でも、相手の態度を見ながら、場合によっては弁護士を代理人に立てるという選択肢も用意しておいた。
「最悪の事態を想定し、対策を用意しておくこと」は、トラブル対応の鉄則である。
このことをぜひ覚えておいていただきたい。

2013年09月30日