蛇美

私は今日まで生きてきました…

【所感】悲しんでばかりもいられない

【毒につき閲覧注意!】

「子供を救えるのは、やはり親しかいない」と本気で思っている人は結構多いのかもしれない。
個人の信念とすれば、それは素晴らしく尊いものには違いない。

しかし、それを一般に当たり前のことと拡大するのは大きな誤りだ。
この過ちが限り…
虐待による犠牲者は絶えることは絶対にないだろうと思ってしまう。

なぜなら、
多くの幼児虐待の場合、その救済に最大の障壁となっているのは、この過ちに基づいた「親権」に他ならないからだ。

そもそもシンデレラや白雪姫をはじめとして、わが国でも「継子と鳥」、「京上り」、「継子の釜うで」、「おりん子こりん子」のように子を殺して鍋で煮るような話は幾つも伝承されており、「継子譚」というジャンルがあるくらい古来より虐待はある意味一般的であったと思われる。

さらに最近では実親によるネグレクトやモラハラも広く認知されており、たとえば「子供を愛せない」とネットをくぐれば、驚くほど多くの母親たちの苦悩と懺悔を目の当たりにすることもできる。

ところで…
猿の社会では、ボス猿が交代すると先ず行われるのは旧ボス猿の子孫の排斥であるという。
群れから追い出されるものもあるが、その多くは虐殺されてしまう。
母猿は黙ってそれを見守っているが、自らその虐殺に加わるものも少なくないらしい。
そして母であったメス猿たちは、新しいボスを当然のように受け入れる。

なんだか、最近報じられる数々の虐待事件と多くの類似点が見出せるような気もする。
もしかしたら、個性と呼ぶにはあまりにも悲しすぎるこのメスの特性を色濃く内包する女性が一定数存在しているのかもしれない。

そこまで極端ではないにしても、貧困で赤子を間引いたり、娘を売ったり、さらには旭日旗舞う中、万歳を唱えながら殺し合いの戦場へ息子たちを送り出した事実はそんなに昔のことではない。

状況が変われば、親子の愛情の方向なんていとも簡単に変わってしまうことは歴史が証明している。

まぁ~、なんにせよ「子供を救えるのは、やはり親しかいない」なんて言うのは、わたしにはばかげた幻想にしか思えない。

一方、
結愛ちゃんの事件で、メディアは児童相談所を次の生贄としていつものように叩こうとする向きが見られる。

確かに修正可能な不備があるならば、速やかな改善が望まれるのだが…
いくらセイフティネットである行政システムを変えたところで結局は「親権」という大きな壁にぶち当たるのは必至だ。

是枝監督ではないのだけれど…
虐待による悲惨な犠牲者をこれ以上増やさないためには、
「親権」という親の身勝手な権利を、真に子供を守る義務として見直さなければ…本質的な解決は望めないように思えてならない。

まぁ~、弱者を切り捨て自分たちだけ優遇し続けるお大臣やお役人様たちのお陰で、「弱い者たちが夕暮れ更に弱いものをたたく」そんなことが現実に起こっている現状もかなり大きな問題ではあるのですけどね。
加速するのはブルースじゃなくて忖度だったりするから余計に悲しい。

2018年06月08日 04:05