蛇美

私は今日まで生きてきました…

【記事】連載:なにわのトラブルバスターの「患者トラブル解決術」

『職員を「洗脳」するモンスター患者、そのあくどい手口とは?』

患者トラブルの世界には、コンサルタントとして他業界から参入してくる人たちが結構いる。
例えば、飲食業界や流通業界などは、顧客とダイレクトに接しているので、クレームも多いのだろう。
これらの業界でクレーム対応の経験を積んだ方たちが、医療業界にも入ってきている。
その一方で、参入したものの、医療業界の慣習などにうまく対応できないケースもよくあるようだ。
診療行為、保険制度、応召義務、患者家族との関係、医局制度、多職種の職場など、医療のトラブルの周辺には他の産業にはない独特で複雑な世界が広がっていて、他の産業で得られたノウハウの応用が利きにくい面が大いにある、と私は思う。
今回のトラブルの相談者は、一般企業での顧客対応の実績が買われ、病院の事務長に転職したという経歴の方だ。
ところが就任早々、非常に手強い患者に遭遇。自らの経験がトラブル解決の役に立たず、うつ病寸前まで追い詰められたというケースである。

ケーススタディー】
病室に女性を連れ込み、無断外泊を繰り返す患者

「数カ月前から病院の事務長をしていますが、今とても困っているんです。公立病院からリハビリ目的で転院してきた入院患者が大変なモンスターペイシェント(MP)で手に負えなくて…。
もう、やりたい放題、やられています。他の業界で顧客のクレーム対応をした経験はあるんですが、こんなものすごいタイプには会ったことがなくて…」

電話の主は、A病院のB事務長だった。
B事務長は他の業界(一般の企業)での経営管理の手腕が買われ、A院長に熱心に誘われて事務長に就任したとのことだ。確かに、病院には医療の専門家はいても、病院組織・経営の専門家はめったにいない。
ここ10年ほど、医療機関を取り巻く経営環境は年を追うごとに厳しさを増しており、異業種などから人材を招聘して経営を強化し、競争に勝ち残ろうとする病院も出てきている。
しかし、他の業界での経験が医療界でどの程度通じるかは、その人の適性や業務の内容によって大きく左右されると私は思う。
特に、患者トラブルにおいては、一般企業におけるクレーム対応とは難易度が違う。
消費者対応のプロであっても、イコール、病院に巣くうMPをすぐに退治できるほど生易しいものではないのが、この世界だ。
それにしても、B事務長を悩ますMPとはどんな人物で、どんなトラブルを引き起こしているのだろうか。
私は興味をそそられ、詳しく話を聞くことにした。

★厳重注意しても一向に態度を改めず
患者は51歳男性のX。妻と娘2人がおり、第1種1級(移動機能障害)の身体障害者生活保護を受給している。
昨年5月、近隣の公立病院からリハビリ目的でA病院に転院。
入院後1週間もたたないうちに、あれこれと病院に注文をつけ、好き放題の行動をとるようになったという。
例えば、院内を車椅子で動き回り、病院の裏口付近でしばしば喫煙する。
自分一人では移動できないので、職員や警備員を呼びつけ、あっちへ連れていけ、次はこっちと言いたい放題らしい。
入院1カ月後の6月には女性の面会者があり、カーテンで仕切られたベッドでXとその女性が上半身裸で抱き合っていたという目撃情報が職員や患者から寄せられた。
このときは、B事務長がXに対して厳重注意し、同じことを繰り返さないように誓約書を書かせた。
しかし、Xが態度を改めることはなかった。
さらに7月に入り、無断外泊も始まった。B事務長が注意したところ、しばらくして保健所からA病院に電話がかかってきた。
「そちらの患者Xさんから『この病院は外泊をさせてくれないし、なぜ外泊禁止なのかの理由も明確にしない』との通報がありました。
詳しい事情は分かりませんが、Xさんとちゃんと話し合うようにしてください」と注意を受けたという。
実はその頃、もう一つ、B事務長を落胆させる出来事があった。
Xの自宅は近隣のY市の市営住宅の3階にあり、外出が困難なため、同じ住宅の1階に転居することで、Y市と話を進めていた。
この話が決まれば A病院を退院する手はずだったのだが、Y市の生活保護担当者より病院に電話があり、「1階がほかの入居者で埋まってしまい、すぐに転居することが難しくなった。
もう少し入院させてやってもらえないか」とお願いされてしまったのだ。
A院長もB事務長もXの素行の悪さにはほとほと手を焼いていたので、「何とか転居させられないか」と食い下がったが、「空きがないので難しい」との答えは変わらなかった。
恐らくA院長もB事務長も、あとほんの少し我慢すればXがいなくなってくれると思っていたはずだろうから、この知らせを聞いてさぞかし落胆したことだろう。
その後も、Xがしばしば無断外泊をするので、A院長とB事務長はXに「病院のルールを守れないなら退院してほしい」と告げたが、全く聞き入れてもらえなかった。
さらに誤算だったのは、Xが一部の職員を味方につけたことだった。
ここまで好き放題に振る舞っていても、ケースワーカーの一部から「多少わがままでも、退院を命じるなんてかわいそうだ」という声が出てきたのだ。
身内からも非難の矢が飛んでくるようになったB事務長は、切羽詰まって私に電話をかけてきたという。
電話での声は、かなりくたびれていて、精神的に追い詰められている様子がひしひしと伝わってきた。

【尾内流解決術】
★現場を一枚岩にしてから行動を起こす
病院のルールなど全くお構いなしに振る舞う一方で、注意されると保健所への通報のように、病院側のちょっとした落ち度を突いてくる。
また、Xは対応する職員の態度や性格を見て、相手によって言動を使い分ける。
狡猾で、非常にたちの悪いMPであることは明白だ。
Xは恐らく、自分の都合を聞いてくれそうな人にはうまく取り入り、従順な姿勢を見せているのだろう。
医療関係者には生真面目で優しい方が多く、それは素晴らしいことなのだが、こうした詐欺師まがいの患者にコロッとだまされ、いいようにコントロールされてしまうケースがしばしばある。
いわば「洗脳」に近い状態に置かれるといってもいいだろう。

★悪質な人間には相応の方法で対処すべき
トラブルに立ち向かおうとしているB事務長だが、身内から足を引っ張られては、たまったものではない。
そこで第一のアドバイスは、病院の職員たちが一枚岩になるようにすることだ。
現状では、Xをかばおうとしているケースワーカーたちとコミュニケーションがうまく取れていない可能性がある。
恐らく、B事務長はこうしたケースワーカーたちを患者X派と見なして、距離を置いていたのではないか。
これこそXの策略であり、まんまとハマりつつあった可能性がある。
そこで、ケースワーカーたちを集め、これまでのXの傍若無人な行動を包み隠さず話し、他の入院患者も迷惑を被り、Xの要求に対応する看護職員や事務員にも大きな負担がかかっていることを丁寧に説明し、これから取る対策への理解と協力を求める必要がある。

第二に、患者Xの素行の悪さが尋常ではないことを改めて認識すること。
これまで病院を転々としてきており、同じようなトラブルを何度も繰り返しているはずだ。
その過程で、さまざまな悪知恵を身に付け、何度も病院側が泣き寝入りをしたこともあるのだろう。
それがXをここまで増長させる原因になっているのではないか。
とりあえず紹介元の公立病院に連絡を入れ、Xが入院中に何かしでかしていないか率直に尋ねてみたらいい。
何か必ず出てくるはずだ。そのことも、Xをかばおうとしているケースワーカーたちに伝えるといいだろう。

第三に、職員の人の良さにつけ込み手玉に取るような悪質なやり方をする人間には、相応の方法で対処すべきだということ。
Xが昨年6月にベッドで女性面会者と抱き合っているところを目撃された件については、当然ながらXの家族には知らせていない。
Xは自分の家族にはいい顔を見せているはずだ。
この事実をXとの交渉に使うのである。

もちろん、露骨にやるのではなく、「病院のルールを守っていただけず、とても残念です。
一度、家族の方々にも来ていただいて、これまで起きたことを詳しく説明した上で、今後どうしていくか話し合うしかないと考えています」と伝えてみてはどうか。
遠回しに、「退院しないとあのことを家族に言いますよ」とほのめかすわけだ。
もちろん、私だって、できることなら人を脅すような手は使いたくない。
ただ、Xのような狡猾で悪意のあるMPには、これくらいの対応をしても許されるだろう。

第四に、市営住宅の3階から1階にXが転居しようとしている件で、再度Y 市に電話をかけ、何とかならないか交渉してみること。
以上の4点をアドバイスし、追い詰められて参っていたB事務長に「大丈夫、きっと解決できますよ」と励ました。

アドバイスと励ましが功を奏したのか、B事務長はその後、精力的に動いた。まずは、ケースワーカーや他の職員と時間を見つけては会って話し、協力者を増やしていった。B事務長はそれまで現場の人間に事情を詳しく説明せず、強引に事を進めようとしていたことに気づき、大いに反省したという。その後、Xの「退院」の期限を2カ月先と決め、引き続き根回しを繰り返しながら、公立病院でのXのトラブルのヒアリング、 Y市との市営住宅の交渉をこなし、アドバイス通りにXへの退院勧告も行った。
その結果、電話相談からほぼ1カ月でXが退院することになった。
Y市の担当者もB事務長の熱意に根負けしたのか、退院期日前に転居先を確保すると連絡してきたそうだ。
電話で状況報告をしてきたB事務長から、「正直、うつ病になる一歩手前でした。
本当に有難うございました」とお礼の言葉を頂くことができた。

【トラブルの教訓】
MP対策でもカンファレンスが必要
今回のケースでのポイントは、病院運営に不満を持つ一部の職員を患者Xが味方につけていた点だ。
医療関係者は優しすぎるゆえに、相手が詐欺師のような人間でも信じてしまいがちだ。
もっと端的に言えば、だまされやすい。
さらに後で分かったことだが、今回の場合、一般企業で「クレームは宝」と信じて顧客対応に当たってきたB事務長が、「どんな患者にも誠意を持って対応する」という患者至上主義の立場で研修を繰り返してきたことも、問題をこじれさせた一因になっていたようだ。
「悪質」な患者を区別せずに一律に対応していると、運悪くMPに出会ったときに、無防備になってしまう。
MPに対して同情は禁物だ。
少しでも甘い態度を見せたら最後、自分が居たいだけ居座り続け、医療機関は計り知れないほどのダメージを受け続けることになるだろう。
今回のケースのように、病院側の結束を分断させるような戦術を繰り出してくるMPは特に要注意だ。
病院というのは、多数の職種の人たちが働いており、多忙であることも手伝って、職種間で情報が分断されていることもしばしばある。
Xの行動を見ていると、多職種だからこそ結束を保ちにくいということをあたかも知っているかのような振る舞いだった。
手術前には、関係者が全員集まってカンファレンスを行うが、MPへの対応に関しても、関係者全員で顔を合わせて情報を共有し、一つの目標に向かって進んでいくような仕組みが必要なのではないだろうか。
組織のコミュニケーション不足は、MPに付け入る隙を与えてしまうので、くれぐれも用心していただきたい。

2013年04月04日