蛇美

私は今日まで生きてきました…

プラス思考主義の危険性とマイナス思考の有益性

相談をしたとき「マイナス思考は雰囲気が暗くなるのでやめましょう」だとか「とにかく明るく明るく!」だとか「明るい未来をイメージすればそのとおりになりますよ!」などと言われることがあります。
これは非専門家の悩みの聞き方によく見られるパターンであることが実験や調査で確かめられています(例えば篠崎,1997;1998;原田,2003)。
この励ましはある意味とても有効で、実際に日常の小さな悩みの多くはこれで解決してしまいます。
いわゆるプラス思考もこれと根は同じです。

ただし、心理療法の場でもこれが通用すると思い始めると危険です。
現場を見ると、この危険を冒しているケースがあります。
マイナス思考で悩む人に対して「催眠で潜在意識に明るいイメージを刷り込めばOKですよ」などと言ったりするのです。
本人にはまったく悪気がないのだと思いますが…
これは安直と言わねばなりません。
のっぴきならないほどの窮地に陥ると、プラス思考は役に立たないどころか害をなすことさえあります。
うつ病の人を「がんばれ」と言って励ましてはいけないことはよく知られていますが、それと同じことです。

プラス思考で今までうまく生きてきた人は、他の人も同じようにやればうまくいくはずだと思い込んでプラス思考を強制する傾向がありますが、それは解決につながるどころか、価値観の押し付けにしかなりません。
マイナス思考の人に対して「鬱は移る」などと揶揄がなされますが、プラス思考型の人間も周りを振り回します。どっちもどっちです。

多くの人が既に気づいているとおり、とことんプラス思考でうまくいく人というのは多くありません。
どんな窮地もプラス思考で乗り越えられるのは一部の恵まれた人だけなのです。
プラス思考や成功哲学の本を買い続けている人もうすうすこのことには気づいていることと思います。
気づいていながら、本を買わずにはいられないのでしょう。
皮肉なことに、その種の本によって成功しているのは読者ではなく、印税を受け取る執筆者のほうなのですが・・・。

そもそもマイナス思考というのは自分の行動を見直すための警告信号だと考えられます。
専門用語を使えば、ネガティブ・フィードバックの産物です。
もちろん極度のマイナス思考は改善されるべきですが、マイナス思考には有益な働きも多いことを忘れてはいけません。
もしもマイナス思考がなかったら、何度でも同じ過ちを繰り返すことでしょう。
マイナス思考によって同じ過ちを避けているのです。
ですから、いかにマイナス思考とうまく付き合っていくかを考えたほうが、プラス思考にこだわることよりもずっと役に立つはずです。

プラス思考主義は現実逃避にもつながります。
腹が減ってどうしようもないときに「このままいけばかなり痩せることができそうだ」なんてプラス思考してみても問題は解決しません。
先には餓死が待っています。

プラス思考を貫けば幸せになれると信じて、プラス思考とかポジティブシンキング関係の本を読みまくる人もいますが、プラス思考になりきれない自分に対してネガティブな気分になってしまうという皮肉なケースもよくあります。
やがて、催眠によるプラス思考を目指し、派手な宣伝を見ては「もしかしたら」と期待して催眠術師の門を叩く。セミナーに通う。自己催眠を習う。
しかし、どれもたいてい徒労に終わります。小さな幸福を「プラス思考のおかげだ」と言える人はまだ健全で、本当に疲れ果ててしまうとその気力さえなくなります。
これを図式的に表せば次のようになるでしょう。

プラス思考を試す
→プラス思考になれない
→自己嫌悪に陥る
→新しいプラス思考法を試す
→プラス思考になれない
→ますます自己嫌悪に陥る・・・


この繰り返しに疲れ果てて、最後に精神科医心理療法家のもとを訪れ「プラス思考をしようと思ってもできないんです。
いろんな本を読んでセミナーにも通いましたがうまくいかず自己嫌悪になってしまって・・・」と涙ながらに訴えます。
ここまで来ると、もう何のためのプラス思考だったのかわかりません。

2005年4月号の日経サイエンスにもプラス思考神話に対する警鐘を鳴らすデータがありましたが、大衆メディアもプラス思考にこだわることの無意味さを積極的に説明して欲しいと思います。
以下は記事の要約です。

――
物事を前向きに考え自信を持って臨むことは心の健康を保つうえで重要だ。
これは誰もが直観的にわかっている。
しかし、米国ではこの傾向に拍車がかかり、自分を肯定的に見ることがあたかも素晴らしい結果を生み出す「心理的な秘訣」のように考えられている。

カリフォルニア州では1980年代後半に自尊心と個人的・社会的責任に関する特別委員会が設立された。
特別委員会は専門家チームを組織して文献調査を行った。
その報告書では「社会を悩ませている重大な問題の多くは、人々の自尊心の低さが原因となっている」と述べている。
ところが、この主張を裏付ける根拠についてはほとんど書かれていなかった。
特別委員会の解散後、非営利団体の全米自尊心協会(NASE)がその役目を引き継いだが、NASEは新たな検証を行っていない。
そこで私たち4人はアメリカ心理学会の支援を受けて文献調査を開始した。
主な結果は以下のとおりであった。

・前向きになっても仕事や学業の成績は上がらない。
・前向き思考を煽ると逆効果。
・先進国では前向きな人は主観的幸福感が高い。発展途上国ではその傾向は弱い。

――

ところで、リフレーミングという技法(もともとは心理療法の技法の一つ)がありますが、これはNLPでも頻繁に使われる言葉なので、NLPを勉強した人はこれとプラス思考に共通点を感じた人もいるかと思います。
たしかにこれはプラス思考とある意味似ていますが中身は別物です。


最後にある文章を引用します。

禁ずることが禁じられているというフランスの表現は、逆説的指令の好例である。
すなわち、禁ずることの禁止、つまり何でも禁ずることの禁止は、もちろんそれ自体禁止である。
…(中略)…
この理論上の事例が実際上の破壊をもたらすことはないだろう。
しかし具体的に重要なのは、しばしば引用される「自発的(自然発生的であれ)」のパラドックスを公約数とするすべての類の指令である。
…(中略)…
「自発的であれ」」のパラドックスの最も重要な臨床的現われは、おそらく悲しみの禁止と「幸せであれ」の意味を含んだメッセージとであろう。
幸せを強要することができないのは、要請されて悲しみを忘れることができないのと同様である。
このメッセージが受け手に与える影響は、苦しい絶望感のみであろう。
…(中略)…
その人が、喜びと幸せの「正しい」感情を自らのうちに目覚めさせようとすればするほど、そのパラドックスは強力に効果をその人におよぼして、ますますより深く心は落ち込んでいくのである。
Watzlawick,P. 1978 THE LANGUAGE OF CHANGE (「変化の言語」)

2016年05月11日 20:59