蛇美

私は今日まで生きてきました…

【ヨガ】「心の大掃除 不安を一掃できる呼吸法」

『合掌呼吸』

人間、生きてりゃ、誰でも心に不安の一つや二つはたまってしまうものです。
「この先○○になったら、どうしよう」とか。
健康、お金、人間関係、恋愛、生活、仕事、、環境、災害、将来、政治、平和・・・、不安のネタなんて挙げればきりはありません。
ただ、暮れも押し迫り、世間は忙しなくなる一方で、風は冷たく、夜も長くなる、こんな時期にはとくに悩みも一層深くなるようにも思います。
毎年、今頃から「飛び込み」とかいった記事が目に付くのも、まんざら偶然だけではない気もします。

では、その不安や悩みって、一体どこからやってくるのでしょう?
仏教(クリスマス時期にあえて仏教を持ち出すのがわたしテイスト!)では、
「人びとの憂い、悲しみ、苦しみ、もだえはどうして起こるのか?
それはつまり、人に執着があるからである。」
と説いています。
同じように、ヨガでは、このような状態を「とらわれた心の発動」と見ています。
心がとらわれてしまうと、呼吸は乱れ、姿勢は前かがみになり、目の前のことにまっとうに対峙できなくなると考えられているのです。
というわけで、それを解消する「合掌呼吸」なのです。


1.正座をして、凛と姿勢を正す。
(背筋をピンと伸ばし、胸を張り、肛門をキュッと締め、肩には余分な力を入れない)
2.目の高さで両手掌を合わせ、両肘を水平に保つ。(合掌姿勢)
3.その姿勢のまま、両手掌の間からプラナ「気・生命エネルギー」を吸収するつもりで想念する。(*)
4.両鼻腔から、息をゆっくり大きく吸い込む(7秒)
5.合掌姿勢のまま両肘を張って、息を止める(10秒)
(この時、手掌から吸収したプラナをへその辺りにためるイメージ)
6.次に、手を合わせた「行間」(左右の指と指の間)から、ゆっくり息を吐き出す(7秒)

これを1セットとし、朝晩に5セットずつ繰り返す。


*)手と手を合わせて集中すると、手のひらの中央に何かしら温かいものを感じます。
コレをプラナととらえ、手のひらからそれを取り入れるイメージです。
慣れないうちは、まず両手をこすり合わせてが暖かくなってから行うとイメージしやすいです。

「想念」とは、座禅の”瞑想"などと同じものです。
基本「無」なのだそうですが、『「無」意識すること自体既に「無」ではない』という、禅問答的で、なんともわからないものですが・・・
「どうすりゃいいのよ?」と、わたしのヨガの師匠に確認したところ、

「無」とは、無為なのだそうです。
想念は、自分が意識せずとも、とめどなく勝手に流れているもので、その流れを止めることはできないし、無理にとめようと思うのもまた想念、要は、「心に勝手に湧き上がって来る思いの流れ」なのだそうです。
プラス、マイナス・善悪、喜怒哀楽、イライラ、他にも、暖かい、痛いといった感覚、数学の問題を解くときの思考、ひらめき、予想、空想、妄想・・・、頭の中に浮かぶ(流れる)ありとあらゆる思いが想念なのです。
で、ただそれを自然に受け止めていては「ぎゃぁぁぁぁああ」と奇声を上げたり、「フフフフ・・・」とついほくそえんでみたり、と忙しくて集中できなくなってしまいます。

だから、それを[無為]にして、達観して観察し、宇宙の真理を見出すのだそうです。
それには、湧き上がって来る様々な「思い」に対して次のような姿勢で向かい合うとできるようになるのだそうです。

◆想念の内容を、一切判断しない!
◆徹底的に自分と切り離して(他人事と見る)、感情を入れず冷静に観る!

そして、最終的に様々な想念の中から、自分が「同意」できるもの選択するのだ!そうです。

とっても難しそうですが、やってみれば存外、面白いですよ♪


・・・この呼吸法をしたからといって、目の前の問題が直ちに霧散することはまずありません。依然として問題は、あなたの目の前に存在しているでしょう。
でも、それに対するあなたの気持ち・姿勢・考えは驚くほど変わっているかもしれません。
だって、お釈迦様をはじめ、多くの先人たちがそうやって乗り越えてきたのだから・・・

2011年12月23日