蛇美

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【記事】パフォーマンス学入門

『患者の「社会的スマイル」にご注意』

<Q>
初診の患者が診察室に入ってきました。
診察まで2時間半も待たせたにもかかわらず、ニコニコしています。こちらが「ずいぶんお待たせしてしまって…」と言っても、「いえいえ」と笑顔で答え、なんだか不自然です。こんなとき、患者の笑顔を真に受けてもよいのでしょうか?(50代、眼科勤務医S)


患者は誰でも、なるべく早く診察を終えて帰りたいのが本心でしょう。
それに、S医師は別の患者から、「先生がお忙しいのは分かりますが、もう少し待ち時間が減るように、何とかしてもらえませんか?」と、ヤンワリと、しかし不満げな顔で文句を言われたばかりでした。

診察室に入ってきた患者は、口の両サイドをきれいに斜め上方に引き上げ、いわゆる「スマイルマーク」のような表情で、しっかりとほほ笑んでいました。
これは明らかに、「表情統制(表情管理)」です。
この患者は、内心では強い不満などの感情を持っているにもかかわらず、それを隠そうとして、一生懸命に笑顔をつくっているのです。

「不自然だ」というS医師の直感は正しいといえます。

◆スマイルには2種類ある
顔には、「快のスマイル」と「社会的スマイル(社交的スマイル)」の2種類があります。

「快のスマイル」は、赤ちゃんがミルクをたっぷりもらったり、自分に良いことがあったりしたときに出る喜びの笑いです。診察を受ける患者の場合、「ああ、この先生に診てもらって良かった」というようなポジティブな気持ちのときは、顔の表情筋が自然にほころんできます。
患者がこんなスマイルを浮かべていれば、医師は安心して、診察を予定通りに進めることができます。

しかし、この患者が見せた笑顔は「快のスマイル」ではありません。
強いコントロールが働いた「社会的スマイル」です。

患者の「社会的スマイル」には、「良い患者を演じたい」という強い欲求が関係しています。
これは、パフォーマンス学では「自己呈示の動機付け」と呼ばれるものです。
学歴や社会的地位が高いほど、この動機付けの欲求は大きくなります。

患者には、医師は医療のプロ、対する自分は素人だという思いがあります。
そのため、ここは一つ、医師の言うことを聞いて、肯定的なイメージを表現するに越したことはないと考えるのです。

そこで出てくるのが「社会的スマイル」です。その目的は、
(1)相手に良い印象を与えて、自分の立場を確保したい
(2)現在のネガティブな感情(怒っているなど)を隠したい
(3)今後の攻撃欲求(クレームを付ける、病院を変更するなど)を悟られたくない
─です。

◆長すぎるスマイルには注意
では、「社会的スマイル」は、「快のスマイル」とどのように違うのでしょうか。
この2種類のスマイルを見分ける4つのチェックポイントがあります。
具体的には、
(1)口元は笑っているのに、目元が笑っていない
(2)まず口元の筋肉が動き、少し遅れて目の周りの筋肉が動き始める
(3)意図的に笑顔をつくっているので、表情筋全体に力が入り、頬の小頬骨筋や大頬骨筋が必要以上に持ち上がって、わざとらしく感じる
(4)笑顔を浮かべている時間があまりにも長い
─です。

4番目のスマイルの長さについて、私は以前に実験を行ったことがあります。
平均的な日本人の会話をビデオカメラで撮影し、会話中のスマイルの時間を測定したところ、1分当たり34秒でした。
普通に話していても、これくらいはお互いにほほ笑んでいるのです。

ところが、診察室という、緊張を強いられる場所であるにもかかわらず、1分当たり34秒どころか、ほとんどニコニコしっぱなしの患者の場合、そのように見せたいという強い意思が働いた結果としての「社会的スマイル」である可能性が高いのです。

もしも自然な笑顔なら、全体の表情筋の動きがソフトで、口元が笑うと同時に目尻にしわ(いわゆる「カラスの足跡」)が寄り、目元も笑っているという感じになるはずです。

今回の場合、患者の笑顔は「社会的スマイル」ですので、S医師は注意が必要です。何か言いたいことを隠しているのではないか、強い感情コントロールを働かせて腹立ちを抑えているのではないか、「先生にお会いするときは笑顔でなければならない」という固定観念があって、わざとニコニコしているのではないか…と思うべきなのです。
そして、このような患者に対しては、より丁寧、かつきちんとした診察や説明を心掛けましょう。

患者が笑顔を見せていたので安心していたら、病院長宛に苦情が届いたり、ことによってはインターネットのブログに「○○病院は、待ち時間が異常に長い病院だ」などと書き込まれてしまったりするかもしれません。
直接苦情を言ってくる患者より、こんな「スマイル仮面」を付けた患者の方が、病院にとっては対応が難しいものです。

患者が笑顔なら不満はないに違いないと、安易に思い込まない方がよいでしょう。

 

2013年05月07日