蛇美

私は今日まで生きてきました…

天婦羅

 

天ぷら屋の店主の朝は早い。

まだ陽も上がらない早朝から市場に食材を求める。
決して仲買に任せたりはしない。
その日最良の食材を自らの目で吟味する。

一番おいしいものを一番いい状態でお客様に食べて頂く。
彼はこの心情を頑なに守り続けている。

遅い朝食を済ませると、
休む間もなく店に出る。

店に入ると、彼はまず店の掃除を始める。
店前から、入口まわり、カウンターや椅子に至るまで
彼はまるで宝物を愛でるかのように清め上げてゆく。

続いて仕込みに入る。
粉を溶き、油を濾す。
そして、仕入れた新鮮な食材に手を入れ、
タネにしていく。
天ぷらに最も適したタネ仕上げるには、
膨大な労力と高い技術を必要とする。
彼はそれを惜しむことは決してしない。

最近では粉や油も改良され、
家庭でも手軽においしい天ぷらを楽しむ人も増えている。
しかし、彼の天ぷらと家庭のそれとでは、
この時点で既に雲泥の差がついている。


天ぷらとは、食材の水分を如何に飛ばすか!
それを極める調理法だと彼は考えている。

タネに衣をつけ熱した油に入れる。
途端にネタは油の中で踊りパチパチと音を立てながら
余分な水分を吐き出してゆく。

ネタは衣の中で高温で蒸され、
その水分が適度に飛ばされる。
どんどん旨みは濃縮され、
美味しい天ぷらへと変わってゆくのだ。

…油の中で黄金の華が開いてゆく。

彼の研ぎ澄まされた五感は、絶妙なタイミングを逃さない。

あくまでもサクサクと軽く、
限りなく深いネタの旨み。




もはや芸術の域にも達しているだろう渾身の天ぷらを
店主はわたしの前に差し出しておもむろに…

「これは是非 塩で…」

「大将ぉ、天つゆちょーだい♪」
店主の言葉を遮り、わたしの声が店内に響き渡った。

わたしをこだわりの専門店に連れて行ってはいけない。。。決して。